丸岡城の伝説

日本最古の城 丸岡城にまつわる伝説について紹介します。

丸岡城の伝説

丸岡城には、「人柱伝説」と「霞ヶ城の所以(ゆえん)」という2つの有名な伝説があります。

人柱伝説

丸岡城 人柱伝説 お静の墓

天正4年、柴田勝家の甥である柴田勝豊は、丸岡城築城の際、石垣を何度積み上げても崩れ落 ちてしまう石垣に悩んでいました。そこで、石垣が崩れ落ちるのを防ぐために、家臣の者が人柱を入 れることを進言しました。勝豊はその進言を了承し、とうとう人柱を立てることになったのです。

そこで人柱として選ばれたのが、お静という片目を失明した女性でした。彼女には2人の息子がい ましたが、夫に先立たれ、非常に苦しい生活をしていました。

そんなお静に、この人柱の話が持ちかけられました。彼女は、かわいい2人の息子の将来を考えま した。もし、自分が人柱になっても、息子のどちらかが侍に取り立てられて人並みの生活ができるよ うになれるのであれば、命を捧げても惜しくはないと思いました。そこで、2人の息子のうち、どち らか一人を必ず侍に取り立ててもらうことを交換条件に、自ら人柱になることを決意したのです。そ して、彼女は息子達に別れを告げ、天守閣の中柱の下に、人柱として生き埋めにされました。

お静が人柱になったお陰で、石垣はその後、無事に積み上げられました。そして、見事天守閣も完 成したのです。

丸岡城 人柱伝説 石垣と天守閣

しかし、天守閣が完成した後、勝豊は他国に移ることになってしまい、そのため、お静の息子は侍 に取り立ててもらえませんでした。せっかく命まで投げ出して人柱になったにも関わらず、お静との 約束は果たされなかったのです。

お静の亡霊はこれを恨み、その怨念はやがて恐ろしい片目の大蛇となって、城の井戸深くに棲みつ くようになったのです。そして、時折人々の前に現れては、恨みごとを述べました。

そして、お静が人柱となった4月中旬になると、毎年決まって長雨が降り続くようになり、「お静 の涙雨」と呼ばれるようになりました。この時期は、城の藻を刈り取る時期にあたり、この長雨のた めに、堀は水であふれました。そのため、人々はそんなかわいそうなお静の霊を慰めるため、小さな お墓を立てたのです。

このことから、「堀の藻刈りに降るこの雨は、いとしお静の血の涙」という堀の藻を刈り取る際 の作業唄が歌われるようになりました。

丸岡城 伝説 人柱お静

霞ヶ城の所以(所以)

丸岡城の別名は「霞ヶ城」と言います。元々この城には、守護神の大蛇が棲んでいるといわれてい ました。柴田勝家の甥、柴田勝豊がこの地に築城した際、一向一揆の残党が何度か攻撃を仕掛けてき ましたが、その度ごとに城の井戸の中から大蛇が現れ、霞を吐いて城を包み隠し、危機を救ってくれ たのです。そのため、この城は、別名「霞ヶ城」と呼ばれるようになりました。

丸岡城 井戸

ちなみに、この地は元来、継体天皇発祥の地とされ、城のあるこの岡は、天皇の第二皇子、椀子王 (まるこおう)を葬った場所と言われています。そのため、古くはこの地を「磨留古平加」(まるこ のおか)と呼んでいました。それが「丸子の岡」となり、やがて現在の「丸岡」という地名になった と言われています。

そのため、この椀子皇子が大蛇に化身し、霞を吐いてこの地を守護してくれているとも言われてい ます。

丸岡城 霞ヶ城伝説

実際に、現在でも春先になると、霞に覆われた「霞ヶ城」を見ることができます。これは、もとも とこの地方は、九頭竜川の支流、竹田川が流れていることもあり、気象的に朝方や夕方に霞が立ちこ める多雨多湿の土地なのです。

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